馬刺しの生まれを紐解きたい、馬肉の歴史巡り

query_builder 2024/04/26
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こんにちは!福岡県北九州市にある馬肉専門店馬活です!

今回は、日本の食文化の中でも特に注目される一品、馬刺しについて詳しく見ていこうと思います。馬刺しは、日本各地で愛され、その歴史は古く、日本の様々な地域で名物とされています。その中でも馬活が仕入れている熊本の歴史と馬刺しの歴史やその魅力についてご紹介し、地域の風土や文化との深いつながりを感じていただきたいと思います。

まずは年表別に馬肉の歴史について調べてみました。馬肉は日本の歴史上、昔から食されていることがわかります。まず前提で、馬刺しが確実に食べられ始めた時期については、歴史的な文献や記録に基づく具体的な年代が確定しているわけではありません。しかし、一般的に言われているのは、江戸時代後期から明治時代初期にかけて馬刺しが一般的な食べ物として定着したということです。

江戸時代には馬肉自体が食用として広く利用されていましたが、馬刺しとして生で食べる文化がいつ頃から始まったかについては、確かな情報が不足しています。しかし、明治時代には馬刺しが一般的な食べ物として広まり、地域ごとにその調理法や食べ方が発展していったとされています。

具体的な年代については、地域や地域の歴史、伝統によって異なる可能性があります。例えば、福岡県や熊本県など馬の飼育が盛んな地域では、馬刺しの食文化が比較的早く発展したと考えられます。しかし、それ以外の地域では馬刺しの消費が遅れた可能性もあります。

したがって、馬刺しが食べられ始めたとされる時期については、複数の要素を考慮して推測されるものであり、確定的な年代を特定することは難しい場合があります。

●古代〜中世(〜1600年頃): 古代から中世にかけて、日本では馬が神聖な存在として扱われ、馬肉の食用は一般的ではありませんでした。馬は戦争や農作業などで重要な役割を果たしており、その価値が高かったためです。

・奈良時代(710年〜794年)〜平安時代(794年〜1185年): この時代には、馬肉が神事や儀式の際に供されることがありました。例えば、馬神楽などの神事で馬が供物として捧げられ、その一部が食用とされた可能性があります。また、平安時代には、武士や貴族の間で馬肉が食べられることもあったとされていますが、それが馬刺しとして食べられたかどうかについては明確な記録はありません。

・鎌倉時代(1185年〜1333年)〜室町時代(1336年〜1573年): 鎌倉時代から室町時代にかけて、馬肉の食用が広がったとする説があります。特に、北海道や東北地方などの寒冷地域では、馬が重要な労働力として利用され、馬肉が食料として利用されたと考えられています。ただし、これが馬刺しとして食べられたかどうかについては記録がありません。

●江戸時代(1603年〜1868年): 江戸時代になると、農村地域や一部の地域で馬肉が食べられるようになりました。特に北海道や東北地方などの寒冷地域では、馬が重要な労働力であり、馬肉が食料として利用されるようになりました。

・北海道や東北地方: 寒冷な地域では、馬が重要な労働力として利用されていました。特に北海道や東北地方では、農作業や運搬において馬が欠かせない存在であり、馬肉が食料として利用されることがありました。この地域では、馬肉は寒冷地の住民にとって重要な栄養源でした。

・戦乱の時代: 戦国時代から江戸時代初期にかけての戦乱の時代には、戦闘において馬が重要な役割を果たしていました。戦争や戦乱の中で、戦死した馬は食用として利用されることがありました。特に武士階級や戦場の近くの村では、馬肉が食べられることがあったと考えられています。

・江戸時代中期以降: 江戸時代中期以降、都市部や商業地域での馬の需要が増加し、馬の飼育が盛んになりました。この時期には、馬肉の消費が増え、馬肉の料理が登場した可能性があります。しかし、具体的な料理名や食べ方に関する記録は不明確です。

●明治時代(1868年〜1912年): 明治時代になると、西洋文化の影響や近代化の進展により、馬肉の消費が広がりました。特に軍隊や労働者の間で馬肉が食べられるようになりました。

・西洋文化の影響: 明治維新以降、日本は急速な近代化を遂げ、西洋文化の影響を強く受けるようになりました。この時期には、西洋の肉食文化が日本にも広まり、肉の消費が増加しました。

・軍隊での食料供給: 明治時代になると、日本の軍隊が近代化され、兵士たちの食糧供給が重要な課題となりました。馬は軍隊で重要な役割を果たしており、戦死した馬が食料として利用されることがありました。

・肉食文化の普及: 明治時代になると、都市部や商業地域での肉食文化が広まりました。馬肉もその一部として消費され、馬肉料理が登場しました。馬肉は比較的安価で手に入りやすい肉として、労働者階級や庶民の間で広く食べられるようになりました。

・馬刺しの確立: 明治時代には、馬刺しとしての食べ方が確立されました。生で食べることが一般的であり、薄く切った馬肉を生姜や大根おろしと一緒に食べるスタイルが一般化しました。


●近現代(1912年以降): 近代以降、馬肉の消費は一般化し、馬肉料理もさまざまなスタイルで提供されるようになりました。馬刺しもその中のひとつであり、生食文化の一部として定着しました。

・近代以降の肉食文化の普及: 近代以降、日本の肉食文化が西洋の影響を受けて徐々に広まりました。牛肉や豚肉などの肉の消費が増える中で、馬肉も一部の地域や食通の間で食べられるようになりました。

・馬肉の料理の発展: 馬肉はさまざまな料理に活用されるようになりました。馬刺しのほかにも、馬肉のしゃぶしゃぶや焼肉、煮物などが登場し、馬肉料理のバリエーションが豊富になりました。

・地域ごとの特色: 日本各地には、馬肉を特産品として扱う地域があります。特に、北海道や東北地方などの寒冷地域では、馬肉の消費が盛んであり、地域ごとに独自の馬肉料理が発展しました。

観光地や食文化の発信地としての役割: 馬肉を食材とした料理が観光地や食文化の発信地として注目されるようになりました。特に、北海道や長野県などの地域では、馬刺しを含む馬肉料理が観光客の人気を集めています。

・健康志向の高まり: 近年、健康志向が高まる中で、低脂肪・低カロリーで栄養価が高い馬肉が注目されています。馬刺しはその代表的な料理の一つとして、健康志向の高まりに合致する食材として人気を集めています。

馬刺しの発祥の地については複数の説がありますが、一般的には北海道がその発祥の地とされています。北海道は日本で最も馬の飼育が盛んな地域の一つであり、寒冷な気候や広大な草原が馬の飼育に適しているためです。

北海道では、馬肉を生で食べる文化が古くから存在しており、馬刺しもその一部として発展してきました。地域の特産品として親しまれ、観光客にも人気があります。

そして熊本県も日本国内で馬肉の生産が盛んな地域の一つであり、馬刺しの名産地として知られています。熊本県は「馬肉王国」とも呼ばれ、馬肉の生産量が多いことや、馬肉料理が盛んに提供されていることで有名です。

特に、熊本市や阿蘇地域など熊本県内の地域では、馬刺しをはじめとする馬肉料理が広く親しまれています。熊本県の馬肉は地元で飼育された健康で高品質なものが多く、その風味や柔らかさが評価されています。

ですので、熊本県も馬刺しの名産地として有名であり、馬肉料理の文化が根付いています。

では、熊本が「馬肉大国」と呼ばれている理由を調べてみました。

熊本が「馬肉大国」と呼ばれる理由はいくつかあります。

・馬の飼育環境: 熊本県は豊かな自然環境が広がる地域であり、広大な牧草地や肥沃な土地が馬の飼育に適しています。また、温暖な気候や豊富な水源も馬の健康的な成長に貢献しています。

・馬の飼育数: 熊本県は日本有数の馬の飼育地であり、馬の飼育数が非常に多いです。地元農家や養馬業者が多く、馬の生産量も多いため、馬肉の供給が豊富です。

・歴史と文化: 熊本県では古くから馬が重要な役割を果たしてきました。武家社会や農耕社会において、馬は農耕や軍事活動などで不可欠な存在であり、そのため馬肉の消費も盛んでした。この歴史的な背景や文化が、熊本県を馬肉の中心地として確立する要因となっています。

・地域の特産品としての馬肉料理: 熊本県では馬肉を生産地の特産品として位置付け、馬肉料理が盛んに提供されています。馬刺しをはじめとする馬肉料理は、観光客や地元の人々に親しまれており、地域経済にも貢献しています。

では、そんな熊本の馬刺しの歴史を簡単に解説します。

・武家社会の時代: 熊本は戦国時代から江戸時代にかけて、藩主が熊本藩を治める武家社会の中心地でした。この時代には馬が戦闘や農作業で重要な役割を果たしており、馬肉も武士たちの食事の一部として消費されていました。馬刺しという具体的な料理名が登場した時期は明確ではありませんが、この時代から馬肉が生食される習慣が根付いていたと考えられます。

・地域の馬肉文化: 熊本は馬の飼育が盛んな地域であり、馬の育成や販売が行われていました。馬は地域の特産品の一つとして位置付けられ、馬肉は地域の料理として親しまれていました。この地域の馬肉文化が馬刺しの消費を促進し、定着させる一因となりました。

・食文化の変化と発展: 近代以降、日本の食文化が変化し、西洋の肉食文化の影響を受けるようになりました。これにより、馬肉の消費がさらに拡大し、馬刺しも一般的な料理として定着していきました。特に熊本では馬刺しを含む馬肉料理が発展し、地域の名物として親しまれるようになりました。
熊本で馬刺しが食べられるようになった歴史は、地域の歴史や文化と密接に結びついています。馬肉の生産と消費が盛んだった熊本で、馬刺しという独自の料理が発展し、地域の食文化に根付いていったと言えます。

そして海外と日本の馬刺し文化の関係もまた、馬刺しの歴史に関係してきます。
歴史上、日本の馬刺し文化と海外の交流が馬刺しの文化に影響を与えたという具体的な記録は限られていますが、一部の説や仮説が存在します。

・モンゴル帝国との関係: 日本とモンゴル帝国との交流があった時代に、モンゴルやユーラシアの草原地帯では馬肉が広く食べられていました。この交流が、日本において馬肉の消費や馬刺しの文化に影響を与えた可能性が考えられます。

・欧米との交流: 近代以降、欧米との交流が増える中で、西洋の肉食文化の影響が日本にも広がりました。これにより、馬肉の消費が拡大し、馬刺しを含む馬肉料理がさらに発展した可能性があります。ただし、具体的な影響や交流の記録は乏しいため、詳細な関係性は不明です。

近現代の交流: 近現代においては、日本の食文化が世界に広まり、馬刺しも外国人観光客や海外の食通によって知られるようになりました。これにより、海外での馬肉の消費や馬刺しの人気が高まる一因となった可能性があります。


勿論、福岡と熊本は隣同士なのできっと食文化の影響もあったでしょう。

熊本と福岡の間には、馬刺しの歴史に関連があると考えられます。両地域ともに九州地方に位置し、歴史的に交流がありました。特に、馬の飼育や馬肉の食文化は両地域で古くから根付いており、その影響はお互いに及んでいる可能性があります。

例えば、福岡で馬刺しが広まっていく過程で、熊本からの影響や情報交換があったと考えられます。また、両地域の文化や料理の類似点からも、馬刺しの歴史には関連性があると言えます。

しかし、具体的な歴史的な証拠や記録がどの程度存在するかは明確ではありません。
それでも、熊本と福岡が馬刺しの歴史において交流し、影響を与え合った可能性は考えられます。

馬刺しは、日本の食文化の一部として古くから存在し、特に熊本県などの地域で根付いてきました。馬肉を薄く切って生で食べるこの料理は、地域の歴史や風土、文化と深く結びついています。古くは馬が農耕や交通手段として重要な役割を果たしてきたことから、馬肉は食用としても利用され、その中でも馬刺しは特に名物とされ、地元の人々や観光客に親しまれてきました。

歴史を振り返れば、馬刺しは古くから地域の食文化の一部として根付いてきたことがわかります。その歴史や伝統を大切にしながら、現代でも馬刺しは多くの人々に愛されています。馬肉の美味しさや栄養価、そして地域の風土や文化との関連性を通じて、馬刺しの魅力を広く伝えていきたいと思います。

最後に、皆さんにもぜひ馬刺しを楽しんでいただきたいという願いを込めて、福岡県北九州市にある馬肉専門店馬活は、馬刺しの美味しさや魅力をお伝えし、地域の文化や歴史に触れながら、新たな食の旅を楽しんでいただける様に皆様へ新鮮な馬刺しをお届けします!

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